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[学長特別座談会]福井大学が進める高大接続と教育改革

学長特別座談会 福井大学が進める 高大接続と教育改革

高校と大学が、教育の目的や内容、方法についてお互いに理解を深め、教育の連携を強く推進する「高大接続」が大きな課題となっています。高校と大学をうまくつなぎ、将来を担う若い世代を育むには、高校、大学の教育、さらには入学試験システムの一体的な改革が必要とされます。福井大学と高校の接続、連携はどのように進めればよいのでしょうか。教育改革の目指す姿を、眞弓光文学長と、高校長の経験を持つ堀康子学外理事、教育問題を専門に記者活動を続ける読売新聞東京本社の古沢由紀子論説委員に話し合ってもらいました。(司会進行:広報室長 本多宏)

堀 康子(ほり・やすこ)

1953年生まれ。福井県出身

<略歴>
1976年4月 福井県教員採用 福井県立大野工業(現奥越明成高校)、丹南高校、武生東高校、藤島高校に教諭として勤務
2009年4月 福井県教育研究所教職研修課長
2011年4月 福井県立盲学校長
2012年4月 福井県立藤島高等学校長
2014年3月 定年退職
2016年4月 国立大学法人福井大学理事(非常勤)

眞弓 光文(まゆみ・みつふみ)

1948年生まれ。三重県出身
専門 小児科学、アレルギー・リウマチ・免疫学

<略歴>
1989年  3月 京都大学医学部小児科講師
1992年11月 京都大学医学部小児科助教授
1997年  2月 福井医科大学小児科教授
2003年10月 福井大学医学部小児科教授(福井大学と福井医科大学の統合)
2004年  4月 国立大学法人福井大学学長補佐(医療情報ネットワーク構想担当)
2007年  4月 国立大学法人福井大学医学部長
2008年10月 国立大学法人福井大学理事・副学長
2013年  4月 国立大学法人福井大学長

古沢 由紀子(ふるさわ・ゆきこ)

1965年生まれ。新潟県出身

<略歴>
1987年4月 読売新聞東京本社入社
1987年4月 読売新聞山形支局
1993年4月 読売新聞東京本社編集局社会部(文部省・教育担当など)
2005年3月 読売新聞ロサンゼルス支局長
2009年6月 読売新聞東京本社編集局生活情報部次長
2012年4月 読売新聞東京本社編集委員
2013年4月 読売新聞東京本社編集局教育部次長
2015年4月 読売新聞東京本社編集局教育部長
2016年9月 読売新聞東京本社論説委員

眞弓 わが国は物的資源に乏しく、人こそが資源です。少子高齢化、過疎化が進む現状で、持続的に発展していくには、優れた教育により国民一人ひとりの能力を高め、生産性を向上させることが重要です。AIなどの進歩により20年後には職業が大きく変わると予測され、社会の劇的な変化にも対応できる人材、自ら考え、行動できる力を持った人材を育成する教育が求められており、大学はその中心的な役割を担うことが期待されています。しかし、大学だけで十分ではありません。高校と大学が、高大接続、連携を通して教育改革を担う必要があります。また、大学入試は、受験生の能力や意志を適切に判定することが大切であり、現行のあり方が最善とはかならずしも言えません。ここでも、高校と大学が連携して入試を改革していくことが重要です。

 高校側も教育を変えていく必要があります。福井では、高校の教員が福井大学の授業を見たり、大学から高校の授業を見に来ていただいたり、あるいは高校生が大学の授業に参加したりと、様々な歩み寄りを行っています。私自身は、勤務校の「スーパー・サイエンス・ハイスクール(SSH)事業」で、福井大学や仁愛大学のお世話になっていました。高校生のうちから大学に行ける、大学の様子を見られるようになってきており、少しずつ動いている気がしますね。さらに劇的に動くことを期待しています。

古沢 文部科学省は「高大接続改革」という言葉を掲げていますが、一般の人にはなじみが薄いため新聞では使いがたく、これまでは「高校と大学の連携」と言い換えることが多かったのです。最近ようやく「高大接続」が定着してきたように思います。そんな中、福井大学は他大学に先駆けて教育委員会と連携したり、地域の高校と積極的に連携を深めたりしているので、先進的な取り組みには注目していました。

課題探求プロジェクト(※1)という教育改革

眞弓 学生にどのような力をつけさせるかという「ディプロマ・ポリシー(※2)」を大学と学部が社会に明示し、それに見合った教育を実施することが求められています。福井大学であれば、教育学部は教員、医学部は医師、看護師という資格を取得できる力を、工学部も「夢を形にできる工学能力」を、というディプロマ・ポリシーを持っており、それに合わせた教育を行っています。
今年度創設した国際地域学部で力を入れているのは、1年から4年まで段階的にレベルを上げていく長期間のPBL「課題探求プロジェクト」です。PBLとはProject Based Learning、自ら問題を明らかにし、解決策を考える力を身につけさせる教育です。価値観や考え方の異なる世界の人たちと共生していくためにはコミュニケーションが不可欠ですから、国際地域学部では、コミュニケーションツールである英語の能力をつけるわけですが、話す中身をしっかりと身につけられるように、アクティブラーニング中心の教育を実施しているのです。「文系学部は、卒業生がどんな力を身につけているのかよくわからない」と産業界から言われますが、これが福井大学としての一つの答えです。

 先日、課題探求プロジェクトの報告会を見せていただきました。おそらく地元出身の学生でも、入学するまで福井県の足元を見てこなかったと思うんですよ。このプロジェクトで県内の会社や自治体に足を運び、社員や職員の方から話を聞いて地元の企業や役所を知り、「これが課題です」とプレゼンテーションをした。ほかのグループはそれを一生懸命聞き、鋭い質問が飛んでいました。高校生や高校教員も参加し、協力した企業や自治体の方々も学生たちの発想に感心していました。地域に関心を持つのは大切で、いい試みだなと思いました。高校生たちも生き生きとして「私もぜひやりたい」「福井大学に入りたい」とあとで話していました。経験を重ねれば、さらに良くなっていくと思います。

古沢 「地域」を冠した学部が急速に増えています。福井大学もその先駆けですが、国際地域学部と聞くと、「あれ、国際と地域どっちなの?」「何をどう学ぶところなんだろう」と思う高校生や一般の人も多いでしょう。それだけに、学部のやっていることを高校生や企業に広く公開する場を設けたことは、非常に良かったですね。高校生であれば「福井大学を目指し、こういう勉強がしたい」というモチベーションにつながりますし、企業とは新しい出会い、新しいプロジェクトが生まれるかもしれません。地域に貢献する人材を育てるからこそ、国際的な視点や語学力、自分の考えをまとめて発信する力が必要なのだと改めて感じます。

※1 国際地域学部の特色ある学びの一つであり、企業や自治体等に出向き、グローバル化によって地域から国際社会にまで起こっている様々な課題を知り、調査し、課題解決の一端を担う実践的な科目群。1年次から3年次にかけて、実践的な学びと、課題を理解し分析する幅広い専門分野の学習を有機的に結びつける形のカリキュラムを通じて、問題の探究とその解決、意思決定や批判的な思考を育む。
※2 ディプロマ・ポリシー 卒業認定・学位授与の方針:卒業までに学生が身に付けるべき資質・能力の明確化

ものを見る力を高校で身に付ける

SSH事業の一環で福井県立藤島高等学校が平成27年度に作成した教材「近代とは何か」。このテキストは平成28年11月に東京書籍北陸支社から出版、市販もしている。「学び方について」「近代とは何か」「現代の世界と日本」「科学とは何か」の4章で構成。

SSH事業の一環で福井県立藤島高等学校が平成27年度に作成した教材「近代とは何か」。このテキストは平成28年11月に東京書籍北陸支社から出版、市販もしている。「学び方について」「近代とは何か」「現代の世界と日本」「科学とは何か」の4章で構成。

眞弓 SSHに手を挙げた高校には、その活動に大学が関与する形で連携しています。さらに、大学が行う高いレベルの教育・研究を高校生に体験させる「グローバル・サイエンス・キャンパス」という取り組みで、生命科学分野を目指す高校生のモチベーションを高め、成長につなげていくことを目指しています。工学部では、理科や数学を教えている高校と大学の教員が互いの現場でともに学び合うことによって一貫教育に取り組む「高大連携数理研究会」の活動を7年前から続けています。

 藤島高校のSSH活動で一番問題となったのは、生徒たちには高校3年間に学んだことを有機的につなげて「ものを見る力」が備わっていないのでは、ということでした。「有機的につなげる力」を「教養」と考えていますが、知識が断片のまま卒業していくことを危惧したのです。藤島高校では文系、理系の別なくSSHに取り組んでいますが、ぜひとも読んでほしいテキストとして「近代とは何か〜高校生のための基礎教養 第1集」という冊子を作ったんです。現代社会の基盤となる「近代」「科学」というキーワードのもとになる古典的な文献、さらには新しい本の記述、自分ではなかなか読まないだろうけれども、「ものを見る」きっかけを作る文章を読ませたい、そうすればスムーズに大学の勉強に入っていけるのではと考えて編集しました。生徒たちから「勉強することが非常に面白い、楽しいことだとわかった」と、うれしい感想をもらっています。大学入試はゴールではなく、勉強が楽しいからさらに上の学校に行って学び、社会の役に立つ人間になりたいと思ってほしい、そんな願いもこもっています。

眞弓 「教養」については、危機感を抱いています。学生の「本離れ」が進む状況のなか、簡単な知識はネットで調べることができます。しかし、思想性とまではいかなくても、教養として呼べるようなものを獲得する経験や学習がいまの時代、行われにくい。大学に入ってからでいいかというと、大学では、増え続ける専門知識に対応できるよう専門教育に軸足を置かざるを得ないところがあり、昔でいう教養教育をしっかり行う時間がとりにくいんですね。教養の形成は、高大接続でやるべき重要な部分ですね。

古沢 今の学生は、文理融合的な力を求められています。高校生の時、幅広く教養を身につけるというのは国際的に活躍するために必要です。理系に進む人でも、先人の思想を含めて歴史を知ることが大切だと思います。人文・社会科学的な知識が欠落しがちであるからこそ、文理融合の必要性が強く叫ばれているのではないでしょうか。高校時代に幅広い分野を学び、教養を身に付けることは素晴らしいと思います。

高大を接続する大学入試

眞弓 理系の人に、歴史、思想、文化など人文・社会科学の教養をいかに身につけさせるか。大学だけではカリキュラムが厳しく、やりにくい。高大接続の考え方でいえば、高校でそうした教育を受けて、入りたいと思う大学にちゃんと入れるような試験の仕組みが必要になってくると思います。

 大学入試について現場の先生たちに聞くと、いろんな意見が出ます。多くの先生が「総合的な力を見てほしい」と言われます。「大学入試で人物評価をする必要があるのか。不合格になれば人間性を否定されたのでは、と大きなショックを受ける。慎重にしてほしい」という声も出ています。「日本の社会は、失敗すると立ち直る機会、仕組みが乏しいので、失敗できる社会、何度でもトライできるような社会、大学であってほしい」という意見もありますね。

眞弓 高大接続入試と一口に言っても、どんな能力を評価するか、高校と大学がしっかり議論して深めないと難しい気がします。現状は入試改革ありきとなっていますね。「学力の3要素(※3)」の到達基準もあまり議論されていません。

 その点で、高校と大学の議論は必要ですね。「全国統一の試験は廃止し、各大学の個別試験を複数回実施したらどうか。企業なら6次試験までやるところもある。高校生を大学に呼んで入学予備軍を作ってインターン制度を充実させ、そこで生徒を見たらどうか」という意見もあります。共通しているのは「大学の情報をもっと高校に知らせてほしい」ということ。生徒の親御さんからも、大学の説明会に行きたいという声が出ています。もっと、大学とコミュニケーションをとろうということが共通しています。高校に勤めていた時、福井大学と福井県立大学の懇談会に参加しましたが、時間が限られ「話をした」という印象はあまり持っていないんですよ。学長さんともっと話す機会があったら良かったと思いますね。

※3 学力の3要素
社会で自立して活動していくために必要な、主体性をもって多様な人々と協働して学ぶ態度「主体性・多様性・協働性」を養うこと。
その基盤となる知識・技能を活用して、自ら課題を発見しその解決に向けて探究し、成果等を表現するために必要な「思考力・判断力・表現力等の能力」を育むこと。
さらにその基礎となる「知識・技能」を習得させること。
大学においては、それをさらに発展・向上させるとともに、これらを統合した学力を鍛錬することが必要。

県内外の優秀な高校生に入学してほしい

眞弓 福井県は進学希望者の数に比べ、受け皿となる大学の入学定員が少ないんですね。それで県、産業界から「県下の高校生を県内の大学に入れてほしい」という要望が寄せられます。若者の流出が続く福井の状況を考えると無理もないとは思いますが。しかし、他県の学生からも福井大学で勉強したいと思われる大学になっていかないと、人口が減っていくなかで大学は生き延びることができないと思います。
福井県の高校生に、「名古屋や金沢に行かなくても福井大学で勉強した方がもっと力がつく」と思われるような大学にするとともに、首都圏、中部圏、近畿圏から優秀な学生を受け入れ、福井県の発展に役立つ仕事に就いてもらうような枠組みを産学官の連携で作っていく取り組みをしていきたいと思います。

古沢 魅力ある大学となることで、結果として多方面から学生が来るということですね。
他県では国立大学と地域との交流が少ないケースもありますが、福井大学は国立大学でありながら、教育委員会と協力し、地元の産業界とも密に連携してきた歴史があり、さらに、県外からも優秀な学生を呼び込めれば理想的ですね。

眞弓 国際地域学部には岐阜県郡上市から来た学生がいますが、「国際地域学部で勉強して郡上市に帰り、地域に貢献したい」と言っています。郡上市は文化的にもすぐれた所ですが、福井大学の教育のあり方に関心をもって学び、ふるさとに帰って働きたいというのは一つの典型でしょう。こうした考えを持って、福井大学で学びたいと思う人が多くなれば、非常にありがたいと思いますね。

古沢 卒業後、出身地に戻ったとしても、福井に還元するものがきっとあるでしょうね。福井の場合、業界に確固とした基盤があるのは恵まれているとも言えますね。むしろ逆に、働く場所がないので人材を育成しても地域で就職するのが難しい県が大半ではないでしょうか。小中学校の高い学力を高校、大学への進学、そして福井大学の高い就職率、低い離職率に結びつける一貫したサイクルが強みだと思いますよ。

福井を誇りに思うために

 小中高を通じて学力は高いのですが、問題は、「福井を誇りに思っていない子どもたち」が多いことです。それは、大人の姿が子どもに投影されているんだと思います。言葉の「なまりが恥ずかしい」とか、「特に誇れるものがない」と言う。「福井出身です」と言うと声が小さくなる(笑)。県外の大学に行っても「福井はいいところだから」と仲間を連れて帰ってくるような魅力を作らないといけないかなと思いますね。
私が住んでいる越前市と岐阜県高山市は姉妹都市なんですが、高山には毎年多くの観光客が訪れます。一方、武生にも古い歴史があり、いい街なのですが、特に中心市街地は寂れています。例えば、テレビで観たのですが、高山市の小学1年生が誇りを持って獅子舞の練習をして伝統を継承している、そうした姿を見ると、地域に誇りを持つことの大切さを実感します。福井の子どもたちも地元に誇りを持てば、県外の大学に進学してもいつか戻ってくるし、県外からも人を呼び込めるんじゃないかと思いますね。このあたりが福井に欠けている大きなことじゃないでしょうか。

眞弓 福井は小さな県で巨大企業はないけれど、中小企業のなかにオンリーワン、ナンバーワンの技術をもった会社がたくさんあります。全国でも有効求人倍率が非常に高い。さらに、「幸福度ランキング1位」という評価もありますが、若い人から見た幸福度とは違うんですね。「幸福度ナンバーワンの県だから、若い人が帰ってくるはずだ」という考え方自体をそもそも改める必要がある。中小企業には良い面がたくさんありますが、若い人から見ると、大企業に比べて至らない面もある。女性の活躍にしても、大企業のような支援を全ての中小企業に求めるのは難しいのが現状です。所得も世帯当たり日本一、なのになぜ帰ってこないのか。大学の教育を改革すればいいというだけではないと思います。

古沢 高校や大学の責任というよりも、社会全体として地域の魅力を子どもに伝えてこなかった面が大きいと思いますね。最近、地域の課題について高校で学習を深めようという動きが全国的に活発です。受験対策に力を入れ、大都市の有名大学に生徒を送り込むことを至上命題としてきた進学校でも、地域の課題を学ぶことによって地元に貢献する人材を育てようという機運が高まっています。都市部に進学して卒業後に戻ってこなくても何らかの形で貢献する人材を育てられればいいという考え方のようです。
SSHならぬSCH、スーパー・コミュニティ・ハイスクールと銘打ち、岐阜県の高校教師らが呼びかけて、草の根のネットワークをつくっています。地域を見直し、地元に残りたいという生徒はかなりいると思うので、そうした学生が学ぶ場や、意欲を持って働ける場を用意していくことは重要だと思います。

 福井の小中学校でも取り組みが始まっていますよ。「福井の食」として、越前がにを上手に食べる方法を教室で学ぶ。鯖江市の小学校では、伝統の越前漆器を給食の食器に使っています。課題探求プロジェクトで工房を訪れた国際地域学部の学生も「初めて知った」と言っていましたよね。

眞弓 自分が生まれた地域に誇りを持ち、かつ地域を活性化していきたいと思うことが地方創生につながるわけですが、大学はその思いを持ち、それを実現できる力を持った人材を育成する。ただ、そうした人材が地域に残ってくれるかとなると別の話で、学校だけでなく、産学官金民からなる地域の全ての人たちが一丸となって取り組まないと、簡単には実現しないと思います。

「考力」「働力」「創力」―福井大学の入試改革

古沢 「高大接続を入試だけの話にしないで下さい」と文科省はよく言いますが、入試は非常に重要で、大きなメッセージになると思います。福井大学の高大接続入試には、大変関心があります。どんな入試をするかということで、その大学がどんな教育をして、何を目指すかが伝わると思います。

眞弓 大学入試では、知識以外に思考力、判断力、表現力、知識を活用する力、さらに勇気や倫理観、リーダーシップといった人間性をきちんと評価して合否を決定すべし、という意見があります。高校と大学がもっと話をして、上からの改革ありきではなく、下から積み上げていくような改革が必要ではないか。福井大学がやろうとしている入試改革の取り組みに、高校での学びの現場で、「問題発見力」「調整力」「計画力」「目標設定力」からなる『考力』、「自己表現力」「傾聴力」「発信力」「先見力」からなる『働力』、さらに、「実行力」「独創力」「修正力」からなる『創力』を縦軸に、それぞれの「力」の到達レベルを横軸とするルーブリックで判定しようという試みがあります。この判定と、入学した学生の成長にどの程度相関があるのかを調べ、この方式が本当によいのかどうか判断しようというものです。三重大学、静岡大学と共同で進めています。しかし、これには時間がかかり、1年や2年で結論は出ません。

司会 個別選抜に反映させるという考え方でよいのでしょうか。

眞弓 そうです。ただし、大学側が総体として共通の指標を提示できないと、高校の現場に混乱をもたらすだけだと思います。5段階評価の内申書に正直なことを書くと、保護者からクレームが出ることもあるようですが、生徒たちの能力をいかに客観的に評価するのか。一方で、高校側は1人でも多くの生徒を希望大学に合格させてやりたいわけですから、評価の客観性に疑問符が付くこともあると聞き及びます。高校のきちんとした評価が大学入試の情報として入る仕組みをいかに作っていくか。難しい問題ですが、入試システムのあり方について、多くの人を巻き込んだオープンな議論が必要です。

古沢 読売新聞教育部の連載をまとめた「大学入試改革」という本を2016年7月に出版しました。アメリカ、韓国、台湾の大学入試を取材したのですが、韓国の大学ではAO入試の担当官が手厚く配置され、常に高校を回っているんですね。日本よりも高校と大学の連携が密で、推薦なども信頼関係を持ってやりとりしているようでした。非常に手間はかかりますが。台湾では、各生徒の学びの記録である「ポートフォリオ」のデジタル化を検討しているということでした。「高校でどんな学びをしてきたか丁寧に見てもらいたい」という現場の意向もあるようです。高校の成績が上位の生徒は大学に入っても上位になるという傾向があると各国の先生方がおっしゃっていました。
ペーパーテストだけでは、予備校が充実していない地方の高校はどうしても不利になってしまうので、台湾大学などでは、地方の高校から優先して推薦を受け入れる「繁星(はんせい)推薦」という枠を設けています。アメリカでも同様に地方の高校や貧困層に配慮する仕組みがあります。

司会 国際地域学部も、新たなAO入試に取り組んでいます。

眞弓 はい。今は若干名ですが、まさに高大接続入試で、高校からの多くの情報を重視して受験生の能力を判断します。この学部では、大学入試センター試験を課さなくても、この方法で適切な入試が行えると期待しています。基礎学力をきちっと見ることは大事ですが、問題はその見方をどうするか。センター試験で見るのか、大学独自の試験で見るのか。本来は高校の学びの現場できちっと見られれば良いのでしょうが、それを入学試験の一環としてやってしまうと、高校生の負担になってしまうという問題も起きてくる。

 現況の入試の場合、大多数の高校生がセンター試験を受けるので、「センターは課してほしい」というのが現場の先生の声ですね。基礎学力は大事にしたいですから、高校できちっと学んでほしい。基礎学力とは、私は言語能力だと思っています。日本語、英語だけではなく、数学的な力も言語能力の一つだと考えています。長文を読み、その意味を理解できるかどうかが人間とAIの違いらしいですが、そうした能力は身につけてほしいと思います。日本国民が身につけてきた「読み・書き・そろばん」の力が基礎にあって、学長が言われた「考力」「創力」は生まれてくる。無からは何も生まれません。

古沢 入試改革について、高校、大学の現場には根強い抵抗がありますし、上からの改革には、さらなる反発を生む可能性もあります。ただ、入試のあり方が現状のままでいいかとなると、やはり変えていく必要はあるのではないでしょうか。1点刻みのペーパーテストで合否が決まる面も残っているので、多面的、総合的な選抜に転換していくという改革は進めていかなければいけないと思いますね。

眞弓 「1点刻みの入試は不適切」という意見、それはある意味正しいと思います。一方で、1点刻みにしなければ、大学に課せられた「入学定員管理」が困難です。残念ながら、一定の学力を身につけていたら受験生全員を入学させるというわけにはいかないのです。

古沢 評価の問題は確かに難しいですが、理想的には、一定の学力があるかを見た上で、思考力や表現力を問う多面的な選抜の枠を増やしていくべきだと思います。いま少しずつ広がっているのはお茶の水女子大などで始まったセミナー型入試です。図書館の本を自由に使って調べた上でリポートをまとめたり、討論や発表をしたりする方式です。秋田の国際教養大学なども似た取り組みをしています。そうした入試の枠を設けることも有意義だと思いますね。多岐にわたる力を見ることができると聞いています。

眞弓 東大、京大でもごく限られた部分で、新たなAO入試を導入しようという動きがあります。一方で、大学は社会から入学試験の公正性を求められる。合否の理由をきちっと説明できる試験を実施しないといけない。限定的な人数であれば、社会も容認してくれると思いますが。ならば、アメリカと同じように、入学を許可するに足る一定以上の学力のある生徒は定員を超えても入学させ、1〜2年後に、勉学について来られない生徒には退学を促す。この方法も、定員管理が厳しい現状では不可能ですが、同時に、進級できない、あるいは退学となる学生が別の大学に移れるシステムを社会全体で構築する必要がある。

古沢 確かに、日本の大学には流動性がないので、海外とは同列には論じられない面がありますね。ただ、1点刻みのペーパーテストで選抜するのが真に公平かというと、格差が拡大する社会では、そうではないかもしれない。今の入試方式が大学にとって良いかというと、長期的には必ずしもそうではないとも思います。1点差を競う試験対策に重点を置くと、高校教育でも、生徒の本当の力を伸ばすことはできないのではないでしょうか。

 現在の高校はセンター試験の結果を予備校に送り、データをもらって「○○大学なら受かる、△△大学なら難しい」と決めている状況です。どうしてこんなことをしなければいけないのか、と常に思っていました。受験産業の協力なしにできないわけですから。

3つのポリシー(※4)

眞弓 偏差値で格付けされている現状を打開するためにも、全ての大学が明確なアドミッション・ポリシー、すなわちどんな学生に入学してほしいのか、そのためにどんな試験で選別するかを打ち出す必要があると思っています。本学のアドミッション・ポリシーには、医学部も教育学部も「学力の3要素」が入っています。問題は、それがしっかりと見えるような入学試験をしているか、ということなんです。医学部では面接試験に力を入れていますが、教員のマンパワーの関係でどうしても限界がある。全国の大学はどこでも同じだと思います。「なぜ医学部を受験しましたか」と面接で問うと、多くの受験生が「私を育ててくれた大好きなおばあちゃんが病気で、うんぬん」と答えるんですね(笑)。明らかに予備校が準備したセリフなんです(笑)。ですから1回や2回の面接で見極めるのは難しい。厳しく言えば、現状の面接は「この人は医療者になるのは明らかに不適格」と思える人を落とすだけのものにしかなり得ていないかもしれません。逆に、医者の適性はなくても、素晴らしい医学研究者になる可能性のある人を落としているかもしれない。

古沢 どういう人を大学から送り出すかというディプロマ・ポリシーにおいては、成績管理や、きちんと勉強させる仕組みが当然重要です。学生には厳しいかもしれませんが、その点については企業からの要請も多いと聞いています。定員管理は4年間で卒業するのが前提になっているわけですが、もう少し流動性を持たせたり、出口を厳しくしていけば、入試が持つ意味も変わってくるかもしれませんね。
福井大学は、米国アイビーリーグのブラウン大学の教育学習センター長を招聘し、教育について様々な助言を受け、改革につなげています。私たちも、その経緯を取材し、本でも紹介したのですが、授業の取り方を変えたり、学年ごとの取得単位を制限したりされていますね。

眞弓 1、2年次に単位を山ほどとれるようなカリキュラムと単位認定をして、その結果、3年次からは就職活動しかしないというケースがある。それではダメだと思うんです。それで、各年度で取れる単位の制限を設けています。「本当の力をつけるために、一つ一つの単位をしっかり勉強して下さい。単位の認定は厳しくやりますよ」という、まあ当たり前のことですが。国際地域学部に関しては、CAP制を導入し、判定基準も単に秀・優・良・可・不可ではなく、アメリカ式の13段階評価のGPA制度を導入する改革を進めています。
教育の質の保証という点で、大学はこの20年、30年ですごく良くなりました。ただ、社会に対する発信力がまだまだ足りない。大学のことを論じる方の中には、自分が大学を卒業した時代の印象のままで論じる人が多いですね。

 確かに大学は成績管理も厳しくなったし、良くなったということは高校の先生からも聞きますね。

眞弓 大学生は総じて勉強するようになりましたよ。

 その一方、バイトしないとやっていけないといったように経済的に困窮している学生も多いと聞きますね。私たちの時代に比べ、学費がすごく上がりましたからね。

古沢 国の給付型奨学金がようやく導入されますが、最近は、アルバイトに追われて学業を途中で断念する学生もいると聞きます。

眞弓 大学を出たら、いい給料をもらえるんだから、自分で大学の学費を払うのは当然という、いわゆる受益者負担の考え方で、大学の授業料が国立大も含めてどんどん上がって、現在に至っている。
大学を出た人は失業者になる割合が低く、国は失業保険を払うことが少ない。クリエイティブな仕事に就くことで給料をたくさん稼ぎ、税金として還元もされる。このように、大学で学ぶことは学生個人の利益にもなるけれど、社会の利益にもなるという考え方で対応している国も多くありますね。人こそが資源である日本は、ひとりでも多くの国民に高等教育を受けてもらい、その人の力を高める必要があります。学ぶ意欲の強い学生にバイトばかりさせてはいけない。しっかりと学んで大学を卒業できるような仕組みをもっと充実させないといけない。これも大学の教育改革の一つだと思うんですね。

※4 3つのポリシー
ディプロマ・ポリシー(卒業認定・学位授与の方針:卒業までに学生が身に付けるべき資質・能力の明確化)
カリキュラム・ポリシー(教育課程編成・実施の方針:体系的で組織的な教育活動の展開のための教育課程編成、教育内容・方法、学修成果の評価方法の明確化)
アドミッション・ポリシー(入学者受入れの方針:入学者に求める学力の明確化、具体的な入学者選抜方法の明示)

高校はどのように変わるのか

 私の高校時代は、誰も塾に行っていませんでした。いまは塾に行っている高校生が本当に多い。塾に行かなくても自分で勉強できないといけないと思うんです。塾に行っている人から言わせると、「大学入試対応のためだ」ということなので、入試は変わらないといけないと思います。
私が大学を受けたころは、いまほど文理分けが早くなく、専門的でもなかったので、高校2年まで文理同じ学習内容で、3年生だけ違ったんですね。私も数Ⅲまでやりました。
先日、大学の同窓会があったんですが、文学部の同級生に医師がいました。文学部を卒業した後、考えが変わって医学部に入り直したんですね。
そういうふうに人生の選択の幅がいまより広いというか、やり直しが利く時代だった。いまの高校生は、狭いところに入れられているという反省があります。高校の教育はもっと自由でないといけないとも思います。
いまの高校生はすごく勉強しているように見えるんですが、高校の教科書は30年前より簡単になっています。私が高校生のころ、1年の時には「徒然草」をほとんど1冊読み、2年では「枕草子」を読みました。いまは両方とも部分的にしか読みません。国語だけかと思ったら、ほかの教科も同じだとおっしゃる。基礎的な学力という意味でも、日本の知的な部分、バックボーンになるようなものが育たない教育だという気がします。哲学まで持てないとしても、大事なものをもっと体系的に学習できるといい。そのためにどうしたらよいかと考えた時、一つのアンサーがこのテキスト「近代とは何か」だったんですね。SSH事業で生徒は良い体験をしたと思います。だけど、知識が有機的につながっていなかった。

眞弓 今後、AIが人間の代わりをしてくれることになれば、「じゃ、人間がすべきことって何なのか?」という議論が高まる。AIで代用できるような知識、能力しか持ち合わせていない人間ばかりになったら大変なことです。スマホに「30割る6」と言ったら「5」と答えてくれる時代に、人間が分数の計算をどれだけ早くできるかに、意味があるのか。なぜ「5」になるかわかる、そんな力が必要だと思います。

 語学だって、スマホが翻訳機になります。けれど、言葉が話せないと人間同士の本当のコミュニケーションは生まれないと思います。

眞弓 そんな時代に人は何を学ぶべきか。

 ここでも高大接続、高校と大学の学習がつながる形がいいと思うんですね。私は大学に入った時、勉強法を学ぶのに2年以上かかりました。後で聞くと、医学部に進んだ人はそれほど苦労しなかったというんですね。覚えなければならないこと、やらないといけないことがたくさんあって忙しく、学問の方法について悩む時間がなかったというのです。私の場合、時間はあったけれど課題研究のような勉強の仕方をしていなかったので、高校と大学の学びがはっきり切れていて、戸惑いました。

司会 高校でもいまはアクティブラーニング的な取り組みをしていますね。

 いまはしています。でも昔はそれが欠けていました。昔の良かった部分と、いまの良い部分は違うんですが。

眞弓 医学部に入ろうと思うと、暗記する勉強も必要です。しかし大学に入って医学の勉強が始まり、記憶できない量の知識がどんときた時に、どうやって勉強したらよいかわからなくなる。何が必要な知識で、何があまり必要でないのか選択できないんですね。そうした学生は、高校時代には全部覚えていた、それでよかったんですよ。でも、大学ではとても全部は覚えきれない。

古沢 判断力のもととなるような幅広い知識がないと、視野が狭くなってしまいます。

眞弓 「捨てていい知識」と「捨ててはいけない知識」を自分で見極める能力がない。教科書1ページを全部暗記しようとする。考えるということができていないんです。

古沢 最近の入試では、講義を聴かせて、どの程度内容を理解したかを評価し、関連する知識や考え方もみる方式を取り入れる大学が出てきています。講義を聴いて「ノートを取る力」を見る大学もあるほどです。確かに、要点を聞き取ってまとめることができないと、社会に出てからも苦労すると思います。自分で判断して情報を取捨選択することが苦手な人が増えているということでしょう。
必要とされる知識量が本当に増えているので、学びのあり方も変わっていくと思います。
自分でテーマを決めてリポートを書いたり発表をしたりする課題研究に取り組んでいる高校生と、こうした経験のない高校生の差はかなりあると思いますね。選挙権年齢が18歳以上に引き下げられるのを前に、高校生と先生を対象にしたセミナーを読売新聞社主催で開催しました。討論を聞いていると、普段、課題研究をしたりアクティブラーニング的な指導を受けたりしている生徒たちは、自分で思考する習慣がついていることが見て取れます。自分で考えるためには、社会に対する幅広い関心や知識を持つことが必要で、課題研究や討論によって培われる面があると思います。

思いやりを感性として身に付ける

眞弓 教育改革、入試改革、高大連携、高大接続のすべてにおいて、子どもたちの力をいかに伸ばすかという視点で語られています。それは決して間違いではないし、大学はそうした力を持った人たちを養成しないといけない。でも同時に、それが行き過ぎて「能力がある者は大学に行って、偉くなるのは当然」という社会になってしまうと、社会の分断というリスクが生じる。弱者に対する思いやりを教育という形だけではなく、感性として身につけさせる取り組みも同時にやらないといけないと思います。

 そのためには18歳だけでなく、リタイアした大人も入るとか、大学がいろんな世代の交流の場になればいいのかなと思います。

古沢 福井には相当のブランド力があると思います。産業の力、小中学生の高い学力という特性を生かして、福井大学にはこれまで以上に先駆的な取り組みを期待しています。たとえば県内の高校と地道に連携し、受験対策に偏らない学習で生徒の学力を伸ばす。さらに、その学力を見極めて良い生徒を入学させることが、福井ならできるのではないかと思うのです。
これは大学入試の理想型ですが、その最短距離にいるのが福井大学ではないかと。お世辞ではなく、様々な改革を大学が一丸となって非常にスピーディーに進めているという印象がありますし、ぜひ草の根からの入試改革、教育改革を実現していただきたいと思います。